何もないこともない

日々思ったこと感じことをだらだら書き散らすブログ。

写真式というもの

ご無沙汰すぎますが、書きたいことだけ書くスタイル。

 

写真式をしました。いわゆるフォト婚。

ただ写真を撮るだけというよりも、小規模な結婚式をしつつ写真を撮られている、という感覚です。

やりようによってはもっと通常の結婚式に近付けたようですが、私にそのようなやりたい事だとかがなく(あったら普通に結婚式やっていたのでは)、まあまあ極々段取り通りに行いました。

 

段取り通り、とは。

まあオーソドックスと思われる行程だったということです。

 

まずは、参列者(両家の家族のみ)より、2〜3時間近く早く入り、身支度(ヘアメイク、着替え)を済まし、まずは2人のみで様々な写真を撮られます。ちなみにカメラマンは女性でした。

ヘアメイクや他のスタッフも女性で、私はやりやすかったですね。

これは余談ですが、洋装だったにも関わらずギュウギュウ締め付けられました。

ブライダルインナーというコルセットに似たような物を下着として着けて、ドレスを着るわけですが、ドレスも背中部分は紐で締められるのです。

ちなみに、二の腕やお腹が気になっていた私はプチダイエットをしていたのですが、これが却って裏目に出た(?)。

試着の時よりも細くなった(らしい)ため、やたらとずり落ちかけるように。

ブライダルインナーの上から滑り止めのようなものをつけるものの、胸元が地味に下がっていく。

結局、本番前に、タオルを2、3枚詰めました…。

着心地は着物のようでした。つまりきつい。

でもお陰で安定はしたので、仕方がないことですね。

 

話は戻りまして、2人のみの写真をたくさん撮って、本番のリハーサルを終えたあたりでいい時間になっているので、参列者を控え室からチャペル内に移動していただき、人前式へと移りました。

 

人前式ですので、ちゃんとした司会の方もついていただき、都度都度で仕切ってもらえますので、リハで聞いた手順を覚えてなくても全然安心でした。記憶飛ばすしいっぱいいっぱいなんですよね。

 

人前式が終わった後は控え室というかロビーエリアで家族と撮影タイム。

割と好き勝手撮れます。カメラマンの方にも撮っていただけます。

私のスマホはヘアメイクさんに預けていたんですが、ガンガン撮ってくれました。ありがとうございます。

満足したら終わり。

 

後は着替えて終了です。着替えは意外と早く済むんですよね、これが。

最後にロビーで家族と少し話して解散しました。

 

これぐらいで大体20〜30万ですかね。

オプションや日取りによってプラスアルファだったりとかするようです。

小さめなチャペルでしたが、まだまだ人は呼べそうでした。仲良しな子だけ!ってことなら友達も呼べたんじゃないかと。

打ち合わせも2回のみ。最初に日取りや大雑把なプランを決めて、2回目は衣装合わせと実際の少し細かい流れを決めるのみ。

BGMを流そうだとか、ウェルカムボードなどの飾りを置くだとかそういうのは当日に持ってきてお願いするだけ。

普通の結婚式よりはだいぶお手軽かと思います。

 

事情があってあげられなかったけどやっぱりあげたいって人とか、盛大な結婚式はやりたくない……って人向けだと思いました。

 

二度はない(恐らく)体験なのでレポしてみました〜。

なんでも否定というわけではない

またしても間隔が空きましたがマイペースに書き散らします。

 

今回のテーマは「実写化について」です。

 

昨今、小説や漫画等が実写化される事が多いかと思います。昔から多かったとは思いますが、特に増えたのではないかと思います。

その際にまずは原作ファンからのバッシングを受けるかと思います。

では、バッシングを受けない条件とはなんなのだろうと考えました。

 

端的に言えば、「いかに原作に寄り添っているか」に尽きると私は思うのです。

例えば、キャスティングひとつにしても、原作の実写化が決定してからそのキャラに合うキャストを選んだのか、先にキャストが決まっていて後からそのキャストたちに合うような原作を選んだのか。

もちろん、そんなことは明言されないでしょうが、そういった大人の事情はあると思うのです。

原作ファンからしてみると、後からキャスティングをしろよ(実写化するなという意見の方が多数かもしれないですがこの際置いておきます)という事でしょうが、そうもいきません。

 

それが商売だからです。単なる趣味でも遊びでもない。

原作に沿いすぎて無名な人間を起用しても視聴率や興行収入が稼げないからです。

ですが、原作ファンにとっては、似ても似つかない演技もうまいと思えないような人には演じてもらいたくないというのがあると思います。

 

仮にイメージにそぐわないという人がキャスティングされたとしても、その人の、役に寄り添う姿勢が見えればバッシングは減ると思うのです。

役に寄り添う姿勢というのは、例えば、体重を役に合わせて調整したり、髪型を変えてみたりということがあげられると思います。

バッシングを受けるのは、往々にして役に寄り添っていないのが丸わかりな場合であることが多いように思います。

例えば、容姿はそのまま、オリジナルな展開ばかり、原作にいないキャラを作る、等等。

 

ただその役者さんたちを売り出したいだけ、というのが透けて見えてしまっているような、原作とは全く別物の何かになっているものがよくあります。

 

監督・スタッフ・キャストの全てが原作を踏まえつつ、しかしながら、実写化としての良さを出すという努力が垣間見えたとき、心が掴まれるのかなと思うのです。

では、どう生きるのか?

この世の中、「ゆとり」というレッテルを貼られる事が多いのではないかと思っています。みなしです。

決していい意味で使われる事のない「ゆとり」。

ですが、私はあまり「ゆとりだもんね」と言われた事がありません。

老け顔というのもあるし、落ち着いている、堂々としているとかで若く見られないせいかとも思います。

大抵、私と同じぐらいの年齢の子が気を遣えなかった、何を考えているのかわからない。そういった話の時に「まぁ仕方ないか、ゆとりだもんね」と結びの言葉に使われます。

そこで「私もゆとりですよー」と言うと、返ってくるのが、「そうだっけ?あんまりゆとりっぽくないよね」というような言葉。

もちろん、多少お世辞?もあるかもしれませんが…。

 

そもそも、人は楽な認知を好みます。

それは脳に負担をかけないためです。

一人一人とゆっくり向き合うよりも「ゆとりっぽい」と感じて「この人はゆとりだ」とレッテル貼りをすれば、その人を認知する上で脳に負担をかけずにすむわけです。

 

今のゆとり世代と言えば、順位なんて気にしなくていい、ナンバーワンでなくオンリーワンでいいと言われながら育てられたわけです。

みんな違ってみんないいんだとも言われて生きてきました。

それが一歩社会に出れば、「野心がない」、「自分の考えがない」、「指示待ち」、「失敗を恐れる」…etc。

「野心がない」のは当たり前でしょう。だってみんな横並びで一緒なのが美徳だとされてきたのだから。

「自分の考え」など持てば、横並びでなんていられません。そりゃあ考えなんて持たなくなるわけです。

 

その時の大人によって都合良く育てられた結果が「ゆとり」。

適度に喋る事が出来ないと意思疎通は出来ない。しかし、無駄に意見を言う奴は鬱陶しい。命令は聞いて欲しい。…都合の良い人間であることを求めてきたわけです。

 

更に、就職難になり、給与も下がり、終身雇用は崩れ、かといって年功序列も崩れ去ったわけではなく、成果主義にもあまり向かない。(横並びで生きてきたため)

希望も考えもない能無しが出来上がるわけです。

 

だらだら書き連ねましたが、そこで自分はゆとりだから、これはできないあれはできない、こんなんですみませんー、と言ってゆとりに甘んじるのか、そこを打開していくかどうかは自分自身ですよねぇ。

ゲームと実況

ふと、もやっとした時の話です。

 

何かのゲームの話をしている時、「あ、それ知ってる!実況動画観てた!面白いよね!」と言われることがあります。

 

これはあくまで個人的に私が思うことですが(こんなブログで書くことなんて一個人の見解に違いないのですが)、ゲームを実際にプレイするのと、ゲームをプレイしている人の実況動画を観るのとでは、全然違うと思うのです。

実際にプレイすれば面倒な部分もあります。

なかなクリアできず、レベル上げをしたり、作戦を立ててみたり、謎解きが解けなくて何度も挑戦したり。

それを乗り越えることができた時の達成感は得難いものがあります。ゲームによっては密かな小ネタが仕込まれている事もありますし…。

 

それが実況動画を観るとしたらどうでしょうか?

そりゃあ、実況をする方の話術があれば、ゲームがより面白く感じられる事もあると思います。

ですが、実況動画には編集が付き物です。

面倒な地味な部分はカットされるでしょうし、前述の小ネタ部分は触れられない事だってあるでしょう。それを観て、やった気になるのは、果たしてどうなのでしょうか?

 

私は実況動画を否定しているわけではありません。

私も観る事はありますし、こんなプレイの仕方もあるのかと目から鱗が落ちる時もあります。

しかし、元のゲームをやった事がなく、実況動画を観て、このゲーム面白いねというのは違うと思うのです。

あくまで、ゲームと実況動画は別物だと思いますので。

そして、そうやって言ってくる人たちに悪気が無いのも分かっています。本当にその動画を観て楽しんだに違いないと思うのです。

それ故に、複雑な気持ちになるのです。

 

このなんとも言えない気持ちを吐き出したかったのでした。

食への関心

料理をするようになって約3ヶ月。

人間やれば出来るものだと実感中。…というよりは、インターネットというものは凄いなぁと感心しております。

その日使いたい食材に関して検索するだけで出るわ出るわ、美味しそうなごはんたち…。便利な世の中です。

飢えているのか?というぐらい毎日朝から晩までご飯のことばかり考えています。

 

話は少し変わり、いつからか、私は食が出てくる作品が好きになりました。漫画でも、小説でも、エッセイでも。

ただただ登場人物たちが美味しそうにご飯を食べて生活するだけの物語でいいのです。

ここでの食の扱われ方はジブリ的なものでいいのです。食がババーンと主として扱われるより、物語の所々で、美味しそうにちょっと出てくるだけでいいんです。ただの日常的な風景として。

昨今では、食を主として扱っている漫画が増えたように感じますが、どうも私には合わないのです。

それは大袈裟な食事後の感想だったり、どことなくエロ(それも割と露骨)的な描写がなんとなく受け付けられないんですね。

それはきっと読者が求めているからなのでしょうが。

個人的に、食が全面的に出る漫画で、かつ、大袈裟でなく美味しそうでほっこりする漫画は「いぶりぐらし」、「ダンジョン飯」のふたつですね。

どちらもご飯の描写は丁寧で、食べる時の感想も大袈裟すぎず、ただ美味しそうなのです。

ダンジョン飯」は少し特殊ですが…。

食をテーマとしていない漫画でいいご飯が出てくると思える作品は「3月のライオン」ですかね。あと、「青の祓魔師」。

どちらも日常の風景としてご飯が出てきてほっこり食べる感じ…。

その地味に出てくる感じがいいんです。

 

他に何かいいものないかなぁとじんわり探索中です。

いつの間にか

この間まで話していた人が、見かけていた人が、亡くなったと聞くとにわかには信じられない気持ちになりますね。それが特に関わりの薄い人でも。

 

人はいずれ死ぬものですが、たとえ入院していたとしても、きっとすぐ回復するのではないかとか思ってしまうんですよね。人によっては、心構えが出来る人もいるのでしょうか。

 

こんな事を考えていようと、もしかしたら自分だってある日突然、命を失うのかもしれないのだし。

 

訃報を聞いて、なんだかつい、考え込んでしまいました。

ご無沙汰どころの話ではない

余裕ができたら…と思っていたら前回の更新からほぼ4ヶ月が経っていましたね。

気まますぎる。

というわけで久々の更新です。お久しぶりです。みなしです。

この4ヶ月の間に実家を出まして、日々家事に追われております。小忙しいです。

実家でいかに動いていなかったかを痛感しております。

意外にも、家事は苦ではなく、ほぼ料理はしていますし、ゴミの分別だって出来るし、洗濯も出来る。

人間やればできるのだなと思っています。

 

さて、実家から先日、64を持ってきました。

何故今なのかと思いますが、思い立ったのでとしか言いようがありません。

そしてスターフォックス64をプレイしてみて思いました。

…こんなに出来なかったっけ?

…こんなに目が疲れたっけ?

…昔は朝から晩までゲームしても平気だったのに…。

…今では20分で無理…。

楽しくないわけではないのですが、なんだか自分の老いを感じて少しへこみました。

…でも大人になってもゲームし続けられる人もいるわけです。

単に私が退化(?)しただけか。

 

私の個人的心のバイブルにしているゲームはMOTHERシリーズとマリオストーリーなので、マリオストーリーもやり直してみたかったのですが、その日のプレイはあえなくギブアップ…。

長時間ゲームをするコツを誰か教えて下さい…。