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何もないこともない

日々思ったこと感じことをだらだら書き散らすブログ。

では、どう生きるのか?

この世の中、「ゆとり」というレッテルを貼られる事が多いのではないかと思っています。みなしです。

決していい意味で使われる事のない「ゆとり」。

ですが、私はあまり「ゆとりだもんね」と言われた事がありません。

老け顔というのもあるし、落ち着いている、堂々としているとかで若く見られないせいかとも思います。

大抵、私と同じぐらいの年齢の子が気を遣えなかった、何を考えているのかわからない。そういった話の時に「まぁ仕方ないか、ゆとりだもんね」と結びの言葉に使われます。

そこで「私もゆとりですよー」と言うと、返ってくるのが、「そうだっけ?あんまりゆとりっぽくないよね」というような言葉。

もちろん、多少お世辞?もあるかもしれませんが…。

 

そもそも、人は楽な認知を好みます。

それは脳に負担をかけないためです。

一人一人とゆっくり向き合うよりも「ゆとりっぽい」と感じて「この人はゆとりだ」とレッテル貼りをすれば、その人を認知する上で脳に負担をかけずにすむわけです。

 

今のゆとり世代と言えば、順位なんて気にしなくていい、ナンバーワンでなくオンリーワンでいいと言われながら育てられたわけです。

みんな違ってみんないいんだとも言われて生きてきました。

それが一歩社会に出れば、「野心がない」、「自分の考えがない」、「指示待ち」、「失敗を恐れる」…etc。

「野心がない」のは当たり前でしょう。だってみんな横並びで一緒なのが美徳だとされてきたのだから。

「自分の考え」など持てば、横並びでなんていられません。そりゃあ考えなんて持たなくなるわけです。

 

その時の大人によって都合良く育てられた結果が「ゆとり」。

適度に喋る事が出来ないと意思疎通は出来ない。しかし、無駄に意見を言う奴は鬱陶しい。命令は聞いて欲しい。…都合の良い人間であることを求めてきたわけです。

 

更に、就職難になり、給与も下がり、終身雇用は崩れ、かといって年功序列も崩れ去ったわけではなく、成果主義にもあまり向かない。(横並びで生きてきたため)

希望も考えもない能無しが出来上がるわけです。

 

だらだら書き連ねましたが、そこで自分はゆとりだから、これはできないあれはできない、こんなんですみませんー、と言ってゆとりに甘んじるのか、そこを打開していくかどうかは自分自身ですよねぇ。